はなぶさむら
最晩年の歌(2)大西民子(1) - 政夫
2018/12/24 (Mon) 10:06:17
大西民子 『風の曼陀羅』
大西民子は歌は美しくなければならぬ、歌は美を本命とすると言っていた。民子は孤独と病で悲劇的な人生を送ったが、歌はそれを美に昇華させた、といってよい。
てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来る 『無数の耳』
桃の木は葉をけむらせて雨のなか共に見し日は花溢れゐき 『花溢れゐき』
青みさす雪のあけぼのきぬぎぬのあはれといふも 知らで終らむ 『雲の地図』
一本の木となりてあれゆさぶりて過ぎにしものを風と呼ぶべく 『風水』
大西民子の歌集を読んでみたいと思ったのは、ふとしたきっかけから、次の歌に出会ったからだ。この作品は、民子の最晩年の歌集に収められている。
合わせたるグラスの音のかそかにてこの世を去らむ順など知れず 『風の曼陀羅』
読んでいて、いい歌だと感じた。民子が相手とグラス(ワイングラス?)を合わせたときに感じた「あはれ」ではなかったか。グラスを当てた音はかそかにして、聞こえないほどの静けさのなか、民子はもう先も長くないことを感じていて、ただ、それを淡々と受け入れていくしかないという心境を見せている。もう、頑張らなくてもいいのだ、というメッセージともとれる。
大西民子の人生はどんなだったか、彼女の作品からその世界を知りたくなった。作品の底流にあるのは悲しさと歌の美であると思い、歌集からキーとなる作品を年代順に拾ってみた。
―― 続く ――
Re: 最晩年の歌(2)大西民子(1) - 関口
2019/01/26 (Sat) 19:18:37
政夫様
いつも素敵な歌のご紹介を有り難うございます。
下記の歌ですが、私の解釈は政夫様と違ったので、書き込み致します。
合わせたるグラスの音のかそかにてこの世を去らむ順など知れず
『風の曼陀羅』
この歌に、私は
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先も長くないことを感じていて、ただ、それを淡々と受け入れていくしかないという心境を見せている。もう、頑張らなくてもいいのだ、というメッセージともとれる。
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とは、逆の、女性としての冷めた視点や人間のウィットに富んだ皮肉さが込められている様に感じました。
おそらく、グラスを合わせた相手は民子から見て、全面的には、弱音を吐いたり、弱さをさらけ出せる相手ではなく、どこか、ライバル的な気持ちがあるあるいはあった相手。でも、その勝ち負けも、もう、老いの寿命の前では、どちらが先に逝くかという最終的な時期に入っていて、かつての戦友との勝負や闘いにも、もう、こだわりはない。
お互いに闘って来たけれど、最後の勝負?の結末は誰にも分からない。誰にも決められない。でも、相手に出会って闘ってきてよかった。という、相手への敬意や哀感を感じました。
言葉足らずですが、書きました。
関口拝