はなぶさむら

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  〈はなぶさむら〉から しばらくぶりです!


八雁短歌会〈横浜歌会〉の有志による短歌交流サークル
「はなぶさむら」を再開します。
興味のある方は

ぜひいちど 「八雁短歌会」公式ホームページ を覗いてみてください。
また、関連先として、

ぜひいちど 「Karikomu かりこむ」 を覗いてみてください。

●首都圏にお住まいの方、八雁短歌会・横浜歌会及び
東京歌会ではそれぞれ主宰・阿木津英出席のもと、
毎月歌会を開いています。いちど見学にお越しください。
〈問い合わせ先〉
横浜歌会:dawa3yakari@gmail.com  
東京歌会:kondo.compose.a.tanka@gmail.com

ライト・バースな歌 - 不登校

2019/01/08 (Tue) 12:16:06


歌人・枡野浩一と杉田協士監督が、「光」をテーマにした短歌コンテストで1200首のなかから選出した四首を原作に映画を制作した。
こういう風な歌は作れそうで、作れない。

反対になった電池が光らない理由だなんて思えなかった        加賀田優子

自販機の光にふらふら歩み寄りごめんなさいってつぶやいていた    宇津つよし

始発待つ光のなかでピーナツは未来の車みたいなかたち        後藤グミ

100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る        沖川泰平

映画「ひかりの歌」は横浜・シネマリオンで上映予定。 2月23日~

Re: ライト・バースな歌 - 関口

2019/01/17 (Thu) 14:21:45

不登校様

この、ライトバース、という言葉はどなたからかの引用でしょうか。それとも、不登校様からみて、ライトバースに思えるという意味でしょうか。

関口拝

Re: ライト・バースな歌 - 不登校

2019/01/17 (Thu) 14:58:06

関口さま

ライトバースに思えるという意味です。

Re: ライト・バースな歌 - 関口

2019/01/24 (Thu) 14:02:32


不登校様

この場合、「ライトバース」とはどういう意味で使われたのでしょうか。

というのは、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういう風な歌は作れそうで、作れない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
の箇所が、
作りたくても作れないというニュアンスなのかを知りたいからです。

それとも、遠目から見て、発した感想なのでしょうか。

関口拝

Re: ライト・バースな歌 - 不登校

2019/01/25 (Fri) 17:55:41

関口様

表題の「ライト・バースな歌」は、映画「ひかりの歌」の題名から連想したものです。

連想と言えば、こんな歌を思い出します。

連想の貧しき日にて目の前に撒き散らされし雀の十羽     大西民子

私もこの歌のように、連想の貧しい日々が続いているものですから、つい、表題のようなフレーズを思いついたのでした。

「ひかりの歌」を英語で表現すれば、ライト・バースになると思いました。つまり、light verse です。1930年代、従来の古典的なバース(韻文)のような文学性よりも、パロディやナンセンスなどを生かした娯楽的で軽妙な形式の詩をW・H・オーデンがライト・バースと定義したそうです。日本では、俵万智、加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸、奥田亡羊を、「ライト・バース、ニューウェーブ歌人」とし、ライト・バースを、現代詩の意味で使っています。詩人では松下育男、高階杞一など。

 また、英語のlight には、形容詞として「軽い」という意味もあります。それで、既出の歌は随分と軽いと感じ、ライト・バースと呼ぶべく、と思ったのです。その特徴と言えば、感性を唯一なものとし、対象の描写が薄く、心象を荒削りのままに説明しています。現在の歌壇に溢れているのも心象詠であり、既出の歌は、それらとそっくりです。対象の細部を描かず、対象と対峙する鑑賞の主体も描いていません。短歌はもっと、自然界にあるもの、自我も含めて、その存在の奥にあるものを描かなければなりません。それらは「古今集はくだらぬ集に有之候」と同じになってしまうと思いました。

 ということで、私は既出の歌のようには詠えないと思うところです。

Re: ライト・バースな歌 - 関口

2019/01/26 (Sat) 18:53:45


不登校様

鋭いご考察、何度も読み返しました。

恥をしのんで申し上げると、私は、「ライト・バース」を「Light birth」だと思っておりました。軽いタッチで生まれた歌、決して「easy birth」ではなく・・・です。

しかし、不登校様のお応えを拝読し納得致しました。また、大西民子氏より引用された歌にも刺激を受けました。

その上で、もう一つだけ質問させてください、最後の、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それらは「古今集はくだらぬ集に有之候」と同じになってしまうと思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
という箇所を、もう少し具体的に?初心者向け?にご講釈頂けないでしょうか。

関口拝

Re: ライト・バースな歌 - 不登校

2019/12/15 (Sun) 09:54:05

“『古今集』はくだらぬ集に有之候”、これは正岡子規の歌論の中の一章(再び歌よみに与ふる書)から引いたものです。
正岡子規は1898年(明治31年)2月から10回にわたって新聞「日本」紙上に歌論を発表した。それは、短歌革新を目指し、万葉集・金槐集をたたえ、旧派の和歌を攻撃したもの。
正岡子規は――貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候。その貫之や『古今集』を崇拝するは誠に気の知れぬことなどと申すものの、実はかく申す生も数年前までは『古今集』崇拝の一人にて候ひしかば、今日世人が『古今集』を崇拝する気味合は能く存申候。崇拝してゐる間は誠に歌といふものは優美にて『古今集』は殊にその粋を抜きたる者とのみ存候ひしも、三年の恋一朝にさめて見れば、あんな意気地のない女に今までばかされてをつた事かと、くやしくも腹立たしく相成候。先づ『古今集』といふ書を取りて第一枚を開くと直ちに「去年とやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る、実に呆れ返つた無趣味の歌に有之候、と言う。

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