はなぶさむら
最晩年の歌(1)長塚節(2) - 政夫
2018/12/02 (Sun) 07:06:17
長塚節 鍼の如く
そのほか、「鍼の如く」の他の歌も引く。節は晩年になると、病と悲恋から人生の寂しさと苦悩を強く意識するように変わったのである。
冬の日はつれなく入りぬさかさまに空の底ひに落ちつつかあらむ
病院の生活も既に久しく成りける程に、四月廿七日、夜おそく手紙つきぬ、女の手なり
春雨にぬれてとどけば見すまじき手紙の糊もはげて居にけり
五月十日、復た草の花もて来てくれぬ、鉄砲百合とスウヰトピーなり、さきのは皆捨てさせて 心もすがすがしきに、いつのまにか大きなる百合の蕾ひそかに綻びたるに
こころぐき鉄砲百合か我が語るかたへに深く耳開き居り
おそろしき鏡の中のわが目などおもひうかべぬ眠られぬ夜は
やはらかきくくり枕の蕎麦殻(そばがら)も耳にはきしむ身じろぐたびに
手紙のはしには必ず癒えよと人のいひこすことのしみじみとうれしけれど
ひたすらに病癒えなとおもへども悲しきときは飯減りにけり
窓外を行く人を見るに、既に夏の衣にかへたるが多し
咳き入れば苦しかりけり暫くは襲(かさ)ねて居らむ単衣欲しけど
健康者は常に健康者の心を以て心となす、もとより然るべきなり、只羸弱の病者になぐさむ時といへどもいくばくも異る処なきが如きものあるを憾みとすることなきにあらず
すこやかにありける人は心強し病みつつあれば我は泣きけり
なきかはす二つの蛙ひとつ止みひとつまた止みぬ我(あ)も眠くなりぬ
短夜の浅きがほどになく蛙ちからなくしてやみにけらしも
暑きころになればいつとても痩せゆくが常ながら、ことしはまして胸のあたり骨あらはなれど、単衣の袂かぜにふくらみてけふは身の衰へをおぼえず、かかることいくばくもえつづくべきにあらざれど猶独り心に快からずしもあらず
単衣きてこころほがらかになりにけり夏は必ずわれ死なざらむ
十四日
脱ぎすてて臀のあたりがふくだみしちぢみの単衣ひとり畳みぬ
べコニヤの白きが一つ落ちにけり土に流れて涼しき朝を
さやさやに幮のそよげばゆるやかに月の光はゆれて涼しも
いづれの病棟にもみな看護婦どもの其の詰所といふものの窓の北陰にささやかなる箱庭の如きをつくりてくさぐさの草の花など植ゑおけるが、夕毎に三四人づつおりたちて砂なれば爪こまかなる熊手もて掃き清めなどす、十九日のことなり
水打てば青鬼灯(あをほほづき)の袋にもしたたりぬらむたそがれにけり
焼くが如き日でりつづけばすべての病室のつきそひの女ども唯洗濯にいそがはし
粥汁(かゆしる)を袋に入れて糊(のり)とると絞るがごとく汗はにじめり
しらはにの瓶にさやけき水吸ひて桔梗の花は引き締りみゆ
廿四日の夕、偶々柵をいでて濱辺に行く、群れ居る人々と草履ぬぎて浅き波に浸る、 空の際(ま)には暗紫色の霧の如きが棚引きたるに大なる日落ち懸れり、凝視すれども 眩からず、近くは雨をみざる兆なり
抱かばやと没日(いりひ)のあけのゆゆしきに手圓ささげ立ちにけるかも
十六日朝、博多を立つ、日まだ高きに人吉に下車し林の温泉といふにやどる、暑さのはげしくなりてより身はいたく疲れにたりけるを俄かに長途にのぼりたることなれば只管(ひたすら)に熱の出でんことをのみ恐れて
手を当てて心もとなき腋草(わきくさ)に冷たき汗はにじみ居にけり
酢をかけて咽喉こそばゆき芋殻の乏しき皿に箸つけにけり
二十五日に入りて、雨は更に戸を打つこと劇しくして止むべきけしきもなし
痺れたる手枕解きて外をみれば雨打ち乱し潮の霧飛ぶ
渚にちかく檐(のき)を掩ひて一樹の松そばだちたるが、枕のほとりいつしか落葉のこぼれたるをみる
松の葉を吹き込むかぜの涼しきに咽びてわれはさめにけらしも
むらぎもの心はもとな遮莫(さもあらばあれ)をとめのことは暫し語らず
二十二日、博多なる千代の松原にもどりて、また日ごとに病院にかよふ
此のごろは浅蜊(あさり)浅蜊(あさり)と呼ぶ声もすずしく朝の嗽ひせりけり
三十日、雨つめたし、百穂氏の秋海棠を描きたる葉書とりいだしてみる、庭にはじめてさけりとあり
うなだれし秋海棠にふる雨はいたくはふらず只白くあれな
彼の蒼然たる古鐘をあふぐ、ことしはまだはじめてなり
手を当てて鐘はたふとき冷たさに爪叩き聴く其のかそけきを
いささかの落葉が焼くるいぶり火に烟(けぶり)は白くひろごりにけり
その六草稿
矢を負ひて斃(たふ)れし鹿の白き毛にいたましき血はながれけるかも
この歌だけは随分と古風で、「鍼の如く」の其五までの主題とは異質のものになっている。