はなぶさむら
女と男 - 政夫
2018/12/02 (Sun) 07:21:12
女と男
女性歌人の歌を読んでいると、ギクリとすることがある。普段、ぼんやりとして生きてきただけに、女性たちの本音の言葉には驚かされる。歌には女が日常生活の瞬間瞬間で感じる心の揺らぎがある。そこには夫をとおして男を見る女の目、心が見えてくる。
女と男の性愛観はこんなにも違っていた。性愛においては心が動かない女もいれば動く女もいるが、男はたやすく心を見失ってしまう。さて、性愛に醒めている女の歌を取り上げる。どれも、心ここにあらず、だ。
乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる 辰巳泰子
作者はろくでなしの男に乳房を吸わせながら、窓の外の桜と桜を散らす雨を見ている。早く終わらないかな、と思いながら。他に「いま誰のためにもあらぬ乳房なるそば屋でそばを噛むゆふぐれの」、「つつまれて乳房はあるをひび割れし陶器のごともいたみさ奔る」など。
灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ 中城ふみ子
口づけの時でさえ、事に浸りきれない私を憐れんでください、と女の業がそう言わせるのか。二十歳のときに結婚した男性とは夫の不貞で協議離婚。他に「背伸びして唇づけ返す春の夜のこころはあはれみづみづとして」、「追ひつめられし獣の目と夫の目としばし記憶の中に重なる」など。
唇をよせて言葉を放てども わたしとあなたはわたしとあなた 阿木津英
わたしとあなたは、唇を近くによせても対等の関係。勘違いしないでね、と性差別の関係を拒否する。第一歌集発刊当時、「女であることによって生ずる醜い感情を歌に注ぎこもうとしていた」、と述べる。「魂を拭えるごとく湯上りの湯気をまとえる乳をぬぐえり」、「何ゆえにある乳房かや昼寒き町にきたりて楊枝を購(もと)む」など。
こう、はっきり言われると気持ちが萎える。察するに女が男に求めるものは何かと言えば、聞いてほしいという自分への関心、大事にしてほしいとういう期待、自分にやさしくしてほしいという願い、さらには自分に真っすぐに向き合ってほしい、と思っているのかもしれない。女は子どものときからよい聞き手として、男は競争世界で勝つことが中心として育てられてきた。だから女の役目と男の役目は違ったし、そこに心のズレがあっても致し方が無かった。
夫の背信行為によって被った妻たちの悲劇の歌を拾ってみた。歌からはそんな女の気持ちが赤裸々に発せられる。
死ぬことしか言はず蹌踉たる夫にいつまでも待つと告ぐる外なかりき 大西民子
会えばきまって死ぬとしか言わない、ふらついた夫。見え透いた嘘を言い続ける夫は許せないけど別れるとは言えない自分のふがいなさ。
「夫にひきずられるようにして大宮に住んだのは、昭和二十四年二月のことだった」、「夫がまるっきり帰って来なくなったのは、昭和三十年ころであったろう」という。周囲の反対を押して結婚し、死産やその後の重い病気などの苦しみを味わった末、共に文学を志して夫婦が状況したのは昭和二十四年であった。やがて、夫は妻を置き去りにしたまま、ほかの女と暮らすようになる。「母や妹は一しょに住もうと言ってくれたが、私はもう少し一人で待ってみるといい、とうとう十年間を働きながら待ち暮らした」という。協議離婚届けに印を捺したのは三十九年であった。他に「死ぬときはひとりで死ぬと言ひ切りてこみあぐる涙堪へむとしたり」、「今は誰にも見することなきわが素顔霧笛は鳴れり夜の海原に」など
必ずいつか我の心にかへりこん君と思ひつつ涙とどまらず 三ヶ島葭子
必ず、いつか、私の心に帰ってくるあなただと思いつつも、涙はとどまらない。惨い現実に立たされ、しっかりしなくては、と自分に目を向けている。夫を待っても叶うことのない願いを切々として歌う。葭子は代用教員をしながら、与謝野晶子の門下となった。葭子の歌を愛する三歳年下の男と結婚。歌集『吾木香』を刊行した矢先、大阪に単身赴任した夫の背信を知った。結婚前は「いま誰か山に火を焚くああこの身煙となりて君にゆかまし」、と歌っていた。
もの言はぬ男の肉は石の如く心は負傷(ておい)のけものゝ如く 今井邦子
自分を避ける夫。暗澹たる夫婦関係がリアルに語られる。男への憎しみは凄まじい。邦子は親に強いられた結婚問題がきっかけとなり、文学への思いから家出を決行。二度目の出奔で中央新聞社の婦人記者となり、同社の記者と結婚。十数年を経て、夫に愛人のあるのを知り、二児を置いて三度目の出奔。「そちらむき眠れる男其暗き寝姿(ねざま)のあまり痛ましきかな」など。
背信とは、やましくも自分に寄せてくれる信頼にそむくことである。妻が裏切られる場合、その打撃の深さはいかばかりか。悲嘆にくれるしかない妻たちはいつまでも心に傷を抱えて生きていくしかない。泣くことしかできない妻たちはするどく男を告発する。歌からはどん底に落とされた者の弱い立場や持って生まれた女の宿命が見えてくる。
そもそも、結婚は、はずみと衝動と錯覚、あるいは、あきらめや妥協やあせりの産物とも言われるものだから、壊れるのもたやすい。当初は永遠に愛を誓いあった二人であっても時には別れることもある。だが、その別れ方が悲惨な結果を生んでいる。
遠い昔から制度が女に負わせた女の役割。男の無理解が一層、女を追い詰める。女に逃れるすべはない。運命を嘆くしかないのだが、女はあきらめているわけでもない。
背の収入に飼はるる如く身を置きて服従を妻の務めとなしき 安藤佐貴子
夫への服従は理不尽なことだが、どうしようもない。苛立ちがある。佐貴子は1931 (昭和6年)、 岡山巌の主宰する『歌と観照』で歌をはじめ、1941 年, 岡山巌の戦時体制迎合の言辞に憤り,退会,以後敗戦まで作歌を中断したという(阿木津英)。他に「夫の意志に曳きずられ生きてほとほとに個を喪ひし時に良き妻か」など。
抱かれれば女と生まれしこと憎む日々重ねてきて別れを決めぬ 道浦母都子
本意ではないのに抱かれてしまう女の宿命、抱くことしか興味のない夫の底意、その向こうに男が見える。母都子は1980年、全共闘運動に関わった学生時代を歌った歌集『無援の抒情』を発表し、現代歌人協会賞を受賞した。夫からのDVにあい、夫から足をけられたのをきっかけに離婚した。「人知りてなお深まりし寂しさにわが鋭角の乳房抱きぬ」など。
女は男に服従するものだという考えは当然のごとくある。男はそれを前提に女を無視し、時には暴力をふるう。女が男に依存しなければ生きられなくなって約一万年が経ったが、このままさらに、この状況は続くのか。男には性による差別を受けることはないが、女は違う。その分、男は気楽ではあるのだが、女がいなくては社会は成り立たないと思う。
最後に、悲嘆にくれる女たちを慰める詩を紹介する。
悲しめる友よ 永瀬清子
女性は男性よりさきに死んではいけない
男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被(おお)わなけれ
ばならない
男性がひとりあとへ残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するのであろうか。
聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから、
あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。
だから女性は男より弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らない
とか、さまざまに考えられているが、女性自身はそれにつりこまれる事はない。
これらの事はどこの田舎の老婆も知っていることであり、女子大学でおしえない
だけなのだ。 ―― 短章集2(『流れる髪』)
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この世には未練がないと妻の眼がじっと見ているわが胸底を 斉藤政夫