はなぶさむら
急がねば - 政夫
2019/01/06 (Sun) 09:48:46
2001年1月6日
大雪の日の朝
大助さんとユキさんは別々に
パトカーに乗せられた
独房に窓はありますか
空は見えますか
通りの音は聞こえますか
風のそよぎ、夕餉の匂い
ありますか
春は巡ってきますか
ああ、あなたの声が聞こえない
裁判長殿
あなた方は
検察が〝ある〟という書類を
何一つ見ていませんね
再審請求を棄却してからは
弁護人の申し立て書を検察官に渡すのを
忘れていましたね
二年も経ってから
「今更、検察官に答弁書を出せとは言えない」だなんて
あなたの前任者は
定年間近で判決を急ぎましたね
あなたも退官前に型どおりに済ませるのですか
再審を決めるのは怖いですか
誰を守っているのですか
誰も殺されていません
これは事件ではないのです
これ以上の拘束は正義に反しないですか
お母さんは
雪が降ると
あの日のことを思い出す
医師の指示で点滴をしただけなのに
「息子は病院側から殺人者として突き出されました」
「息子は人様を殺めたりしていません」
集いがあれば
お母さんは訴える
「息子は無罪です」
「ぜひ、証拠開示を」
「息子の無罪・再審を一日も早く」
「救ってやってください」
「みなさん、裁判所を動かしてください」
桜井さんも
菅谷さんも
無罪となって帰ってきた
が、両親はすでに亡くなっていた
「そういう思いは息子にさせたくありません」
刑事さん
あなた方は
地下の取り調べ室で
「椅子の背にもたれるな」と
九時間も攻め続けた
怒鳴って
机や壁をたたきながら
「お前でなければ誰なんだ」
「お前がやったんだ」
同僚で婚約者のユキさんも
「逮捕する」と
大助さんは自白した
三日後に否認したのに
机越しに蹴飛ばして
「ふざんけんな」
あなた方はなおも攻め続けた
検事殿
あなた方は
患者のカルテを見ていませんでしたね
病気の原因は筋弛緩剤なのですか
あなた方は知っていますね
サンプルの質量分析で
患者たちの血液から
筋弛緩剤が検出されなかったことを
なぜその証拠資料を全部
使ってしまったのですか
本当ですか
2014年3月25日
河村裁判長は再審請求を棄却した
大助さんは叫ぶ
「誤判です」
「裁判官は何様ですか」
今度の嶋原裁判長には
「〝正義〟を貫いて」
2015年
大助さんは獄中で新年を迎えた
「年賀状も全国から、そしてオランダからも
とても励まされ、一人ではない」
「まだ闘えると、力強くなりました」
「助けてください」
千葉刑務所からの便りが届く
「あの日から十五年が過ぎました
〝本当の春が〟近づいていると
信じている毎日」
「僕は絶対にやっていない」
「なんの為に裁判所があるのか」
「両親が元気なうちに帰りたいです」
かつて
毒ぶどう酒事件があった
私は弁護士でないから
動かなかった
足利事件があった
私は宗教家でないから
動かなかった
袴田事件があった
私は人道家でないから
動かなかった
布川事件があった
私は運動家でないから
動かなかった
そして
筋弛緩剤事件がある
私は、私は、……
今、何をしているのか
【事件の概要】2000年、仙台市の北陵クリニックで准看護士の守大助さんは患者五人の点滴に筋弛緩剤を混入したとして、2001年1月に逮捕され、殺人と殺人未遂で起訴された。4年に無期懲役の判決。仙台高裁は8年に控訴を棄却した。守さんは12年に再審請求を申し立てた。急変した五人のうち、死んだ老人は心筋梗塞、今も意識不明の少女は処置した院長夫人のミス、と医師たちは証言している。他の三人は病状が回復した。この「事件」は、誰かが犯人ではない。殺人を犯そうとしたものはいなかった。当時、クリニックは経営が苦しくて他の病院から瀕死の患者を積極的に受け入れていた。そもそも、裁判では点滴に「筋弛緩剤」が混入された事実はあったのかどうかが争われている。これは、病院内で病気が原因で急変した患者がでたことで警察が事件と思い込み、ストーリーを描き、証拠調べをせずに守さんを無理やり犯人に仕立て上げたもので、「えん罪事件」である。